Facebookや自己啓発では、「言葉」の重要性が常日頃から記事になり、言霊の重要さが語られるのである。
かほどに言葉は強い力を持ち、組織を元気にも病にもしてしまう。ビジネスパートナーの力を引き出しもし、傷つけもする。起業して学んだことの最大のことは、この「言葉」についてだった。
とはいえ、言いたいことを言わない――というのも違う。そこは他人と他人、発する者と受け取る者。赤の他人で生まれも育ちも、クセも違う。考え方も感受性も違うのである。そこを抑えながら、「どう伝えるか」が大切だ。
だけど、こうも思う。人は理性で生きているわけじゃなく、感情の生き物。ならば、たまには間違ってもいい。上手に伝えられなくてもいい。たとえば夫婦間にはそんな行き違いも多かろう。でも、「受け取る方の気持ち」を少しでも慮る気持ちがあれば、かならず物事はうまくまわりだす。
「えっ」と思われるかもしれない、がそうなのだ。
「言葉」には感情が付帯する、「言葉」にはイメージが付帯する。オレンジと言えば、橙色の果実を思い描き、それの酸味を想起する。もしくは、その香りを思い浮かべる人もいる。「言葉」が言葉そのものではなくて、すでに形であり、色であり、香であることは、ギリシャ時代から人口に膾炙されていた。イデアと言う。
ところが、文明が発達し、社会が複雑化し、人間関係が多元的になるにつれて、人間はいろいろな顔を持った。そこでは、「会社向けのわたし」がおり「プライベートなわたし」がいて「営業先のわたし」「SNSでのわたし」など様々な仮面をかぶっている。言葉は、在る手段をなす、場を納める道具に成り下がったのである。
ただの道具になる。で、あるから、そこに実体はないし、さしたる思いもない。もっとも恐ろしいのはここからである。
とはいえとはいえ、「言葉の力」は恐ろしい。一見、奇跡などおこしそうもない「言葉」の奥底に、世界のダイナミズムをうごかす力が眠っている。たとえそれが、手段でのみ使われた言葉であろうと、「悪い言葉」には憎悪が「素っ気ない言葉」には無関心が「邪険な言葉」には差別が宿っているのである。
独り言ですらそうだ。無意味なひとりごちでさえ、根底に「言葉」は世界をうごかしうるダイナミズムを持つ。思い浮かべるだけでなく発声する言葉には、とくに気をつけなくてはいけない。
『お金の心理』と言う本だ。ここでは書けないから、是非読んでみて欲しい。
この言葉が気に入って、始終となえていた。とくに寝る前と、家に帰ってソファ寝転んでるときはいい。ただ、単純に気持ちいいし、力の入っているときより、脱力しているとき、眠気のあるときのほうが、潜在意識優位だからきっと効くはずである。この言葉を何日かつぶやくのである。
・・・・・・・・・
すると、詳しくは書けないけど、ウン千万相当の幸運が僕の身に降り注いだのである。これには、驚いた。でも、これを奇跡と一蹴するには早すぎる。『般若心経絵本』と言う本にこうある。
ハーラーギャーテー・・・ の真言は、これだけで、般若ハラミツの体現だと。言葉そのものが物質、いや物質以上のなにかなのだと。つまり、「言葉がはじめにあった」ようにモノがありそれを指す言葉があるのではなく
――言葉があるから、世界がある――
のである。
――君が認識するから、世界がある――
のである。もっと言おうか。
――君が、言葉にするから、現実があるのである――
さらには、
――君が認識したものだけが、現実なのである――
これには、嘘がない。
言葉を発するとは、モノを動かす、存在させる、変容させると瞬間的に同義なのである。であるから、、、
よい言葉を話そう
夢を語ろう
愛を伝えよう
友情を篤くしよう。
酔いつぶれて、愚痴る男に成功者はいない。酔いつぶれて、ご機嫌になるか寝てしまう成功者はいる。この理由は上述にあるのだ。
日常と眠りの間には、もっと良い言葉をつぶやいてやるといい。小さな声で実際に発してみるといい。なにを話すかは、ひとりさんの本を読んで下さい。他の本でもいっこうにかまわない。
重要なのは、自分自身が、「言葉を発しているとき、気持ちいいか」でしかない。言葉を手段におとしめるべからず、言葉=その瞬間に現実だ。
君が君自身の人生を生きようとするなら、きっと僕ら、それに気づくようになる。
だから僕は著者に言う。『言葉を磨こう』と。
なぜなら、それは現実になるから。
Clover出版事務局松本です。
社長兼編集長小田による人気企画を二つほどご案内させていただきます。まもなく受付終了となりますのでお見逃しなく!
Clover出版代表取締役兼編集長・小田実紀です。