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野良猫の気持ち

空き家で野良猫が子供を産んでいるのを見つけ、野良猫を保護してくれる団体に相談しようとしたAさん。すると、職場の同僚から『それって余計なお世話じゃない?野良猫の気持ちになって考えるといい迷惑かもよ』と言われ腑に落ちないご様子。そこで、17年間に及ぶ犬猫保護活動をされてこられた「ノラ猫あがりのスターたち」の著者、田辺アンニイさんに質問してみました。

 

「外猫は本当に自由なのか」

よく、猫のあるべき姿、飼育方法についての論議をSNSで見かけます。

「猫は外と家を行き来するほうがストレスが溜まりにくい」

「猫は室内だけで飼うべきだ」

「ノラ猫は野生の生き物なので人間が関わらないほうがいい」

価値観は人それぞれですし、猫にマイクを向けて意見を聞いても彼らは言葉を返してくれません。本当のところ、だれにもわからないのが現実です。しかし私は、17年半の犬猫譲渡活動(不遇な犬猫に終の棲家をさがす活動)の経験を経て自分なりの結論を持っています。

「猫は室内でのみ自由でいられる」これが私の考えです。室内という有限の空間に、自由という無限のイメージ。この“矛盾”をどう説明すべきか悩ましいですが、まずはノラ猫と家猫の平均寿命の差に着目してみます。

ノラ猫と飼い猫の寿命

ノラ猫の平均寿命は三~五年程度と言われるのに対し、外に出るタイプの飼い猫は十三年、完全室内飼育の猫にいたっては約十五年以上生きるという調査結果となっています。調査したのは大手のペット保険会社なので信ぴょう性は確かでしょう。むろん、幸福の測りとして、長生きだけがすべてとはいいません。けれども、平均寿命の差が個体のQOL(生活の質)を物語っているのは否定できません。

体重四キロの小さな猫たちにとって、外には多くの危険が潜んでいます。

車・バイク・自転車などの交通事故、猫がキライな一部の人によるイタズラや虐待、有毒の植物、割れたガラス、カラス、ノミ・ダニなどの寄生虫、相性の合わない猫たち同士の命を賭した縄張り争い、感染症、飼い主のいない完全なノラ猫たちは寒さ、暑さ、飢え、渇きの苦しみとも闘わなければなりません。

動物の虐待と法律

地方では野生動物に食い殺された猫もいます。ちなみにうちの近所では過去にホウ酸団子を口にしたノラ猫が白い泡を吐いて死んでいました。人によく懐いた一歳未満のやさしいオスの猫でした。黒白の毛色で顔に黒い斑点があったことから、私が“イボクロ”と呼んでかわいがっていた子です。イボクロは大きな物音や大勢の人を怖がるタイプの猫でした。どこにいてもキョロキョロと目が泳ぎ、常にビクビク周りを警戒していた姿が今も忘れられません。すぐに保護しなかったことを心の底から後悔しています。

そもそも、猫は動物愛護法に「愛玩動物」と明記されています。家の中にいる猫も、電柱の裏に隠れている猫も実はみんな愛玩動物の括りなのです。人間が家猫と外猫を勝手に区別しているだけで、身体の構造を含め、両者はまったく同じ生き物です。野生動物ではない外猫たちにとって、すべてが人間目線で配備されている「外」は生きづらいのではないでしょうか。それに第一、アスファルトで整備された私たちの街は、野生とは言い難いでしょう。

危険がいっぱい!猫の外飼い

現に私の知人の飼い猫は、外でビニール袋を誤飲したり、釘を踏んで足を怪我して血を流しながら帰宅する生活を送っていました。しょっちゅうほかの猫たちともケンカをして、何度も病院へ運ばれました。病院で本来は必要のなかった辛い治療を受け、片目を失い、しまいには猫同士の感染症が引き金となり、若くしてこの世を去ったのです。ケガをして戻ってきては通院、入院。高い治療費を支払って、治ったらまた外に出す……の繰り返し。

傍で見ていた私が、違和感をおぼえて知人へ室内飼育を促すと「家に閉じ込めるのがかわいそう」と返ってくるのです。しかし果たしてそうでしょうか?通院や入院のストレスは?

結局、愛する猫を失い悲嘆に暮れていた知人も、猫も、どちらも正直私には幸せに見えませんでした。目の届かない所へ出る猫たちを、飼い主は守ってやれないという現実をこの事例で学んだ気がします。

猫に信号の意味はわかりません。猫に入っていい場所といけない場所の区別はつきません。猫を迷惑に感じているお宅へ猫が侵入し、庭を荒らして排泄することもあるでしょう。そのことが原因で近隣トラブルになり、猫が悪者になり、ますます嫌われることも少なくないのです。
猫は人間が完全に庇護することではじめてその愛らしさを存分に発揮できる生き物だと思います。いずれ社会に出なければならない人間の子どもとは次元の異なる「ペット」だからです。いろんな意見があるのを承知の上で、私は信頼できる獣医師たちとともに、「完全室内飼育」を推奨してきました。正しい管理こそが最大の愛情と私は信じているのです。

「可愛い猫には旅をさせない」というのが私の考え方です。

うちの猫たちや私が保護した猫たちは、猫が快適に過ごせる室温二十五度の部屋の中で、腹を出して寝ています。ガリガリの傷だらけだったノラ猫たちが、ポテポテした体つきになり、毛艶を増し、早く撫でろと私の膝に体当たりしてコミュニケーションをせがんできます。

飢えや痛みや寒さから解放された猫たちは穏やかな顔つきで部屋の床に転がって毛づくろいをしています。間仕切りのない広々とした世界で出会ったときとは、むしろ比べ物にならないほどにのびのび、と。

「制限と開放」の角度を変えて、私は猫に接しています。制限された場所で開放的に生きる、この“内なる自由”が猫たちにとって本当の意味での自由なのかもしれない、と私は思います。

長い文章をお読みくださりありがとうございました。「ノラ猫あがりのスターたち」に私が外からスカウトした室内で自由気ままの猫たちのサクセスストーリーを詰め込んでいます。ぜひお手に取ってお読みいただければうれしいです。

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